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福祉=奉仕からの脱却。

  • 投稿者: labocho
  • 2005年9月29日 9:40 PM
  • 未分類

無償の福祉。
ことばは美しい。現在この国では多くの福祉事業において、ボランティアが大きな役割を占めている。
しかし、国や地方自治体は建前上、ボランティアを必要としない福祉を提供しているはずだ。それが提供できていないから、ボランティアに頼っているわけである。ボランティアを美化することで、国や地方自治体から目を逸らさせ、奉仕活動をしない市民に責任を転嫁しているともみる事が出来る。
ボランティアに頼ることの問題は、ボランティアがアマチュアであることにある。
資格を得ている人などは職業として福祉に従事しているだろうから、多くのボランティアは専門的な知識・技術を持っていないと推測される(もちろん、そうでない人もいるだろうが)。当然プロに比べてサービスの質は低くなってしまう(意識の問題ではない)。
また、代価を伴わないサービスに対し、受け手は要求をしづらい。代価を払っていれば、サービスの送り手と受け手は同等であるが、代価が無ければ立場は自然、送り手が上になってしまう。この事がサービスの低下を招く可能性がある。
現在、この国の制度では、ボランティア抜きで福祉事業を行うことは不可能だろう。だが、ボランティア無しで充実した福祉を実現することが、福祉の受け手・送り手双方にとって幸せな事だと考える。将来の目標として、念頭におくべきではないだろうか。

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福祉=奉仕からの脱却。 - 情報と音楽 より
pingback - 子供が介護するのは当然? – 情報と音楽 より 2009年7月2日

[...] この間、福祉をボランティアに依存する事の問題点を指摘したが、それ以前に言うべき事があった。 現在でも、親を介護するのは子供の当然の義務、と考えている人は少なくないようだ(更に介護するのは女性の仕事、と考えている人も多いらしい。救えんわ・・・)。 一口に介護といっても、その負担は年々大きくなっている。医療の発達から寿命は延び、そのかわりに重い障害を持つ高齢者が多くなり、また、子供の代の年齢層も高くなる。子供が介護する、となれば90歳の人を70歳の人が介護する、という状況も考えられる。ならば孫に、となれば孫は親と祖父母の介護をしなければならず、肉体的・精神的・経済的な負担は計り知れない。 重い障害を持つ人の介護は想像以上に辛いものらしい。さらに在宅で、相手が親ともなれば更に大変だ。四六時中、かつての姿を失った親の世話をしなければならない。肉体的障害を持っていれば、入浴や下の世話。精神的な障害なら、心休まる時はなくなる。 こんな状態では、介護する側も疲弊しきってしまう。具体的な体験談をきくと、介護疲れで、親を殺害してしまったり、自分が自殺してしまったり、というような事が起こるのも無理がないように思える。 こんな社会でいいはずはない。 まずは、親は子供が介護すべき、という意識を捨て、介護が必要な者は、社会全体で面倒をみるという意識が必要だ。そして、質・量ともに甚だ不十分な現在の介護制度・施設を改善しなければならない。 ところで福祉大国スウェーデンでは、親を介護するのにも給料が出る。確か資格を持っていれば、給料もあがったはずだ(うろ覚え)。いまの日本がスウェーデンのような福祉を築きあげるのはかなり難しいと思うが、多少なりともお手本にしていきたい。 [...]

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