情報のインプットとアウトプット。

ネットの普及と流通の低コスト化で、以前では考えられないほど、大量で良質な情報が、迅速に安価に的確に手に入るようになった。取捨選択が必要とはいえ、そのフィルタを通したところで、なお大量の情報が残る。

すると、情報を取り入れること(インプット)だけに多くの時間と労力を取られがちになる。

しかし、情報はただインプットするだけでは、意味がない。脳内で消化し、再構成することで、ようやく自分のものになるのだ。

この、情報の消化と再構成を行うのにもっともよい方法が情報のアウトプットだ。

インプットした情報を、ブログで記事にしたり、人に話したり、何らかの作品に残したりすると、その過程で消化と再構成が必ず必要になる。

そうした情報は、(消化と再構成を行わなかった情報に比べ、格段に)記憶と記録に定着し、また別の情報のインプットとアウトプットに役立つのだ。

アウトプットはメモ程度のものでも構わないが、できればある程度まとまったものにするのがいい。まとまったものにするためには、自分のなかでの情報の位置づけと関連づけが必要になるので、より意味のあるものになる。場合にもよるが、人に見られる場にアウトプットするのは一つのよい手段だろう。

もっとも、アウトプットばかりでは、いずれ引き出しがつきてマンネリになってしまうから、インプットとアウトプットの適正なバランスを保たねばならない。

アウトプットはインプットに比べて格段に大変だが、それまでのインプットの多くをまとめて再構成するので、勢いにのってアウトプットばかりしていると、引き出しがつきるのが明確にわかる。

そうした時は、自分の底の浅さに絶望したりせず、しばらくインプットに専念すると、アウトプットですっきりした頭に、砂漠に水がしみるごとく、新しい情報がどんどん蓄積されていく気がする。

今の私は、インプットがたまりすぎてるので、できるだけアウトプットのための時間を持とうと思います。この文章もまとまってるとは言いがたいけど、それでも、ただ考えてるだけよりは、ずいぶん整理されましたよ。