「スピリチュアル・ブーム」の示すもの。

今日のクローズアップ現代は「過熱するスピリチュアル・ブーム」だった。

乱暴に要約すると30〜40代のええ大人がオカルトに救いを求めているという内容だ。

科学リテラシー教育が浸透してないんだなあと思いつつも、なぜそうしたものに人気があるか考えてみる。

「スピリチュアル」の実態

占いだオーラだなんだと言っているが、そのサービス内容はカウンセリングに非常に近い。要は客の話を聞いてあげて、人格・行動を肯定し、その上で真っ当なアドバイスをするわけだ。(ホストやなんかもこの辺に近いんじゃなかろうか。知らんけど。)

そこで、ここでは、スピリチュアルなサービスのうちカウンセリングと呼べるものを「霊的カウンセリング」、臨床心理学・精神医学(この違いがよくわからないのだが)に基づくカウンセリングを「科学的カウンセリング」と呼んで、2つを比較しつつ考察する。

目的も手段も近い二つだが、霊的カウンセリングがすごいのは、その肯定の理由やアドバイスの根拠にオカルトが使えることにある。

「私は貴方の行動はよかったと思う」とか「これこれこういう理由で貴方は間違っていない」といわれても、「いやしかし」と自分で反論してしまうが、「このカードが貴方の行動が正しかったことを示している」とか「もうすぐ運気がよくなる」とかいわれれば、反論しようがないわけだ(そこですんなり受け入れられるかには個人差があると思うが)。

霊的カウンセリングの問題

ただ、そうしたものには、当然問題がある。悪徳とまではいかなくとも、値段設定は恣意的なものだし、当然、保険もきかない。サービス品質も玉石混淆だろう。

それに対し、精神科医によりカウンセリングはどうか。値段設定は厳密に規定されているし、保険もきく(はず)。サービス品質には当然差があるだろうが、国家資格により高い水準が確保されている(はず)。

科学的カウンセリングの問題

本来ならば、精神科医によるカウンセリングが適当な場合に、それを受けずに、霊的なカウンセリングに走ってしまっている。なぜか。

その理由として二点考える。

精神科の敷居の高さ

精神科=精神異常者(まあ、この言葉も解釈の幅が広いのだが)のいくところ。というイメージが強く、敷居が高い。なじみがない。抵抗がある。少なくとも、ちょっとした悩みを聞いてもらったり、相談する相手、とはとらえていない人がほとんどだろう。

ちょっとした悩みでも気軽に話せる「かかりつけの精神科医」という存在が、誰にでもあれば、ずいぶん状況はよくなるんじゃないだろうか。

インスタント性のなさ

これは、番組中、香山リカ氏が言及していたことだが、精神科医のカウンセリングには通常、時間がかかる。そもそもそんな簡単に解決できないことだから悩んでいるのであって、問題解決に時間がかかるのは当然だが、霊的カウンセリングでは(無根拠で受容するために)短時間での解決が可能となる場合がある。時間がかかって、自分で解決しなければならない科学的カウンセリングより、短時間で、人に解決してもらう霊的カウンセリングの方が人気なのは、当然なのかもしれない。こうした特徴を、科学的カウンセリングが部分的に取り入れる(方便として、霊的なものを説くなど)ことも考え得る。

(ちょっと、話がまとまらないので、また後日、修正・加筆します)