昨日、原付のスパークプラグを交換した。モーターサイクルをいじくるのは初めてだったので、不安だったが、問題なく作業を終えた。一発でエンジンがかかるのは気持ちいい。
私のように、それほどバイクに興味のない人の多くは、エンジンがかからなくなったら、まあ、バイク屋に持って行くのが普通だろう。そのほうがラクだし、安全だ。自転車のタイヤがパンクしたときなんかも、自分で修理する人は結構少ないらしい。
でも、私はこうしたちょっとした修理を自分でやるのが好きだ。安くすむとか、壊れたものを持って行くのが面倒とかの理由もあるが、一部でも機構を理解し、得た知識を実践するのは楽しい。
そもそも、昔から私は分解が好きだった。近所のゴミ捨て場に電化製品が落ちていれば、その場で開けてみたり、家で捨てることになったPCを分解しまくったりしていた。分解して見つけた「お気に入り」の部品は、いまだに小物入れに入っている(ベアリングの入ったのや、小さくまとまった基盤が嬉しい)。
そのうちに、ビデオデッキやレコードプレイヤ、ゲームのコントローラなんかを直すようにもなって、単なる分解よりは多少ましになった。このへんで修理が好きになってきたんだと思う。
しかし、近年、修理不可能なものが多くなってきている気がする。電子部品が多くなったということもあるが、修理を前提としない設計や体制になってきたように思えるのだ。
昔(10年くらい前?)は、電機店には修理コーナがあった。家電なんかを持ち込めば、そこで修理してもらえたものだ。最近では、メーカによる修理の窓口しかなくなっている。メーカでなければ修理(というか部品交換)ができなくなっているのだ。
私は学生時代、カシオの電子辞書を使用していたのだが、ある時、蝶番にあたる部分が折れてしまった。外装が壊れただけなので、電子辞書としては使える状態である。そこで、外装の部分だけ購入できないか、問い合わせたのだが、修理するので送って下さいの一点張り。その時は講義で毎週使っていたので、できれば修理に出したくない、と言ってもダメだった。
以前、ヤマハのキーボードの鍵が折れた時は、ヤマハに問い合わせ、該当する鍵だけを購入し、自宅で修理できたので、大体どこでもこういう対応をしてくれるのかと思っていたので、残念だった。
今後はこういうことが増えてきそうでやだなー。