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食文化の復興と惣菜屋。

スーパー、コンビニ、ファーストフードの浸透で、日本の食文化は危機を迎えている。

魚や野菜が人気ないのも、おいしい食材が手に入れにくくなっているからだと思う。コンビニやファーストフードのメシはどれもまずいし、スーパーに行っても、おいしそうな食材(特に魚)に出会いにくい。

むろん、卸や市場、そこまでいかなくとも、昔ながらの商店街の魚屋や八百屋にはそうした良質の食材があるだろう。しかし、たとえば一人暮らしの人間が、毎日、商店街に赴き、手の込んだ料理を自ら作る、というのはあまりにも理想に過ぎ、一般的でない。

であれば、惣菜屋が救世主となるのではないか。

地元の商店街などから、よい食材を仕入れ、栄養価を考え、舌を鍛えることを意識した惣菜を作る。品数を抑え、日によってメニューをローテーションすることで、過剰生産を抑え、栄養管理もしやすくなるはずだ。

客としても、ファーストフードやコンビニと同じ利便性を持ちながら、うまいものが食えて、栄養の心配もしなくてよい、となれば、結構人気が出そうな気がする。

こうした惣菜屋チェーンが実現すれば、日本の食文化レベルはあがり、健康にもなるのではないか、と素人は思う。

マスメディアも、高級食材を無駄に使った料理や、B級グルメばかり追いかけてちゃいかんですよ。

食は芸術。文学は・・・?

芸術とは何か、ということは昔から論じられ、不勉強な私は先達の芸術論を全く知らないわけだが、大胆にも言わしてもらおう。食は芸術である、と。
芸術の代表格は美術・音楽・文学だろう。演劇や歌劇、映画などはこれらの複合体と考える。文学はとりあえず置いといて、美術と音楽は、それらが作用する「器官」あるいは「感覚」がはっきりしている。
美術は目を通して視覚に、音楽は耳を通して聴覚に作用する。
その考えでいくと、俗にいう五感のうち残っているのは「味覚」「嗅覚」「触覚」だ。
これらに作用するものというと、当然「食」となる。
料理は味、香り、食感の芸術であるわけだ。
必ずしも生存に必要ない、時代や文化により価値観が大きく異なる、基本的なところで共通している部分がある、などと、音楽・美術などとも共通する事項がある。
もっとも、嗅覚芸術でいえば香水や、線香などのほうがふさわしいかもしれない。
触覚芸術は・・・いままで芸術としては認識されていなかったのかも。パウダービーズが流行したり、肉球写真の本が出たり、エアキャップを模したおもちゃが発売されたりと、サブカルチャーにはいろいろあるかもしれない。
さて、ここまで文学は保留してきた。文学は視覚や聴覚から入るとはいえ、本質はそこにはない(当然、味覚・嗅覚・触覚も無関係ではないが本質ではない)。
芸術が感覚に作用するものである、文学は芸術である、という(勝手な)前提に基づくと、文学が作用する感覚がある、と考えられる。
文学はことばの意味を介する芸術である。語感など聴覚的要素も大きいが、翻訳文学が十分市民権を得ていることを考えると、やはり本質は「意味」であろう。
とすると対応する感覚は、意味を介する「意味覚」ということになろうか。人間の第6の感覚としてはなかなかいいものである、と思う。

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