悪意とWeb2.0。

ここ数ヶ月、このブログのコメントにスパムがよく入る。

記事に関連性のある広告なら目くじらたてるほどの事ではないと思うが、全く関連性のない(しかも品のない)広告となると、怒るのを通り越してあきれてしまう。

いわゆるWeb2.0の世界は、不特定多数の善意によって成り立つ。ブログなら書き手の許可なくコメントやトラックバックを入れれるし、Wikiでも記事の追加・編集・削除までできる。

こうしたシステムは悪用しようと思えば、いくらでも悪用できる。広告書き込みはいくらでもできるし、誹謗中傷、ねつ造も簡単だ。

Web2.0以前の常識では、こうしたシステムがうまくいくとは思えなかった。私にとって初めてのWeb2.0的サービスのWikipediaを見た時には、かなり驚いたものだ。

現在そうしたサービスでは、少数の悪意に対し、多数の善意によって一定のクオリティを保っているわけだが、このバランスはサービスによって異なるし、刻々と変化する。一度、悪意が優位となれば、サービスが崩壊することもありうる。

ネット上のサービスに限らず、善意で成立する社会において、悪意の存在はあらゆる点で自由を制限する。たとえば、建物のセキュリティを強化することで、善意の人間に不要な面倒をかけさせ、行動を制限し、コストの一部を負担させてしまう。世界中の国の軍事費が不要になれば、どれだけ豊かになるか考えてみてもいい。

まあ、現実的には善意の者が受ける制限と、悪意の者から受ける被害とのバランスをとってシステムを構築するしかないのだろうが、顔も見えない不躾な人たちのせいでこんな苦労をせねばならないというのは、どうも釈然としないところがある。

スパム業者はこんなことどうでもいいんだろうが、全くどうにかならんものか。